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ありあんさ通信

現在、ユバ農場では一世から四世まで23家族約55名が共同生活をしています。

 
  フィゲイラ樹の下で
1935年の仲間達


ガラサイ郡フォルモーザ地区で弓場農場創設のため原始林を伐採中の当初の仲間達。

前右から:
望月数太郎
志保沢 了
斉藤 昇
弓場 寛

後ろ右から:
浜村利一
弓場 稔
 
 
  仲間達
現在の仲間達



1才〜108歳まで54名26戸の仲間達が暮らしています


 
   
ユバの最年少

1歳6ヶ月になった矢崎由希子、犬小屋で仔犬に囲まれ大ゴキゲン。犬でも猫でもニワトリでも恐さ知らずで手当たり次第に抱きつくので、彼らの方が逃げ回る有様です。
 
 
ユバの最年長

3月で108歳を迎えられた長縄辰吉さん、食事こそ自室ですが、記憶もしっかり、まだまだお元気です。
 
 
 
創設者 弓場勇
  • 野球練習時の弓場勇1906年5月16日 弓場為之助、くらの長男として兵庫県西宮市塩瀬町名塩に生まれる。
  • 1926年5月26日ハワイ丸にて着伯。
    (6月1日アリアンサ入植)
  • 1976年12月10日没(70才)
  • 海外に自由を求め力行会に入り、永田稠氏(力行会2代目会長)の薫陶を受けた弓場勇は19才の年に祖母、父母弟妹たち9人の家族と共に渡伯、アリアンサに入植した。
    「移住は文化の創造である。このブラジルの処女地に日本民族の特長を生かした新しい文化の創造を」とその実現に向かって歩み始めた。

    その年、弓場勇は、アリアンサ野球チームを結成してサンパウロに遠征した。 三田中学に弓場ありと言われた剛球投手だった彼の率いるチームは、翌年、1927年より全伯大会で3年連続優勝をとげる。この野球活動は青年運動促進の一環でもあり、1930年には汎ノロエステ野球連盟を結成するなど、以後ブラジル野球界に多大な貢献をし続けることになる。(詳細は「ブラジル野球史」に)

    また、「人がその土地に定着しなければ文化は育たない」という思想を掲げ、共鳴する仲間達と本格的な共同生活を開始すると共に、奥地産業の改革を目指し「産業青年連盟」を発足させ、いち早く養鶏を取り入れて掠奪農業から施肥農業へと転換を図り、当時南米一の養鶏場を築き上げてその発展を促した。

    しかし、50年代半ばに倒産し農場分裂という事態により、惜しくもそれらの計画は全ての実現を見なかったが、無一文になってなお創設の同志との友情は保たれ、1956年6月現在地 (第一アリアンサ4区)で再出発した。  そして更に、「芸術すること、宗教すること、百姓すること。この三つがハーモニーした生活こそ人間の求める本質的な生き方である。」という生活に根差した思想の下に、その後新たな仲間も加わり、晩年にはその具体化の一つとして、舞踊家小原明子の指導による弓場バレエ団を組織して祖国との文化交流を更に深めんとしたが、故郷西宮市の招聘により、50年振りの祖国訪問の後、交通事故という不慮の出来事によりその70年の生涯を閉じた。